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by Norman Yamazaki, DDS. (profile)

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February 06, 2004 

国風盆栽展にかける思い

国風盆栽展とは

(日本盆栽教会Websiteより抜粋)

東京府美術館(現在の東京都美術館)で、

第1回国風盆栽展が開かれたのは、

昭和9年(1934)3月でした。

主催したのは、

のちに貴族院議長となる

松平頼寿伯爵を初代会長に迎えて

設立された国風盆栽会です。

「盆栽は季節を楽しむもの、

春秋の開催が好ましい」との

彫刻家・朝倉文夫先生の助言により、

戦前は春秋2回の開催でした。

国風(こくふう)とは、

その国特有の風習、

文化(広辞宛)という意で、

盆栽を我が国固有の文化、

芸術としてとらえ、

第1回展以来盆栽展名に用いているのです。

第二次大戦をはさんで3年間、

中断を余儀なくされましたが、

昭和22年にこの美術館で再開、

長きにわたった戦争で

打ちひしがれた人々の心を癒し、

ようやく平和の戻った

安堵感と喜びを伝えたのでした。

昭和40年(1965)、

盆栽芸術の向上と普及発展をはかり、

日本文化の進展に寄与しようと

国風盆栽会を母体とした

社団法人日本盆栽協会が、

初代会長に吉田茂・元首相を

迎えて設立されました。

協会の設立に伴い国風盆栽会は解散し以後、

日本盆栽協会が縦承し、

日本最古の歴史を有する

国風盆栽展の伝統を守っております。

本展は、日本で最もレベルと

格調の高い盆栽展として、

海外でも広く知られております。

http://www.bonsai-kyokai.or.jp/kokuhuten.htm

*****

私が小学校5年生で盆栽を始めたとき、

一番最初に植えかえをしたのは黒松でした。

地元の園芸店で売られていた

持ち崩された20cmくらいの高さの、

5号の素焼の鉢に植わっていたものです。

関東ローム層特有のマサ風化物単用で

植えられていました。

その松は、私が家を出て

アメリカに長くいて、帰ってきたとき、

家の畑の傍らで3mの巨木になっていました。

当時、私に盆栽を

教えてくれたのは父でしたが、

その父はもういません。

今回、国風盆栽展に入選した

黒松と長寿梅について

いろいろ尋ねられるので、

ここで一括してお答えします。

皐月大賞を取った直後の

私の初の展示会への出品が皐月ではなく、

黒松であったことが

さつき愛好家の間に

波紋を投げかけていますが、

私の盆栽の原点は黒松であり、

皐月が私の盆栽の99%を

占めている現在においても

心のどこかにはスペシャルとして

住み着いています。

従って盆栽界の頂点の展示会である

国風盆栽展の初出場には、

私の原点である黒松で出るということは

もう以前から決めていました。

また今回の席のテーマは、

黒松と長寿梅を手にいれた時から

考えていたもので、

私の心を貫く最も

大切な理念を表わしています。

私の父は吉田松陰を師と

仰いで生きていました。

当然その思想は息子である私にも

伝承されています。

私は日本人として生きる。

私は日本人として

だれにも恥ずかしくないように生きる。

私は日本人として日本を愛して生きる。

私は日本人として

日本が美しく強い国であるように生きる。

私は日本人として天皇陛下に

恥ずかしくないように生きる。

つまり、国風盆栽展に初出場する

私の挨拶代わりの自己紹介の席は、

吉田松陰先生をテーマに展開するのです。

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席銘・今古萩町頓振り町筋

主・黒松

銘・松陰初霜(しょういんはつしも)

銘は私がつけました。

意味は、

私は吉田松陰先生を師としており、

今回の初入選では

そのことだけを知ってもらいたい

ということです。

私が銘を付けた樹は私が生きる限り、

私と共に生きるので、

この樹はしばらく私と過ごすことになります。

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添え・長寿梅

銘・手のとはぬ雲

銘はやはり私がつけました。

この銘は

手のとはぬ雲に

樗(おうち)の咲く日かな

という高須久の俳句がベースになっています。

(おうち)というのはせんだんのことです。

俳句には意味の解説は

いらないということなので、

状況だけを説明します。

高須久は萩藩の中級武士の

家柄の娘であったのですが、

養子の夫の死後、

自らの三味線好きから、

門廻りをする芸人と親しくなり、

その芸人が被差別部落民であったため、

幕藩身分制度を犯す大罪として

吉田松陰先生が投獄された

野山獄に送らていたのでした。

高須久の罪状を知った吉田松陰先生は、藩の連中のしているのは自由平等を基底とする人間観への痛罵として、心底を揺さぶられ、それが始まりとなりいつしか高須久との交流がはじまったのです。

この吉田松陰先生の唯一の

ラブストーリーの相手となった

高須久が江戸に護送されることになった

吉田松陰先生に、餞別の汗ふきを渡し、

読んだ一句をがこれなのです。

従ってこの銘の意味は、

主の黒松(吉田松陰)に

対して添えの長寿梅は

高須久を表している

ということです。

松陰先生、烈死後145年にして

久さんと一緒に過ごせるという事は、

とてもナイスなことだと

松陰学派の末席を汚す

不肖の私は思っています。

席銘の

今古萩町頓振り町筋

というのは、

松陰先生と久さんのいた

野山獄の現住所です。

野山獄は今はいくつかのの

石碑だけが残りの松陰先生と久さんの

記憶を伝えています。

以上

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