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午後に授業のない日である。
「昼をおごるからさ、どこかに行こうよ。」
というTPのオファーを受け入れた。
「面白いところへ連れてってよ。」
と言うのでコロンビア大学本校の近くにあるハンガリーレストランのオープンカフェ (The Hungarian Cafe) に行った。
ここはBill 平田が発見した仲間内しか知らない秘密の場所であった。
St. John (セントジョン教会)の前にある。

ここでおれは一つのことを言っておく。
それはここでおれは自分を偉く見せるために、どんな内容の話も作り上げることが出来るということである。
多くの自叙伝というのは、そんなものが多い。
それをおれは良いことだとは思わない。
嘘をつくのはおれのスタイルには合わない。
だから、おれは自分が思い出せることだけを、断片的に書くことにする。
直接法での会話は実際の会話であり、脚色はしていないつもりだ。
それでも、もし、おれがえらそうな口調になっていると感じられる場合があるのは、この時、おれは尾崎がしていたことを全く知らなかったことによる。
おれにとって尾崎は、単に年下の、歯を痛がっている、ちょっとつっぱった日本からの旅行者にしか過ぎなかった。
若者の「教祖」と呼ばれているなんて想像もつかなかった。
そんなことを思わせないほど尾崎は純粋だった。
*****
「先生、いつか日本に帰るわけ?」
「たぶんね。いつかはわからないけど。
それにしてもその先生はやめてくれよ。
まだ学生なんだから。」
「先生でいいよ。
おれ、先生が日本に帰ってきて、病院開いたら一番先に行ってやるよ。
少なくとも2本もクラウンにする歯があるし。
ゴールドだよ。
ウハウハだよ。」
「日本の保険治療は破壊活動の口実だからしないよ。
自由診療のみだから高いと思うよ。」
「自分の健康と金を天秤にかけるのはバカのすることだよ。
でも金なら問題ないよ。
心配すんなよ。」
***
「先生よお、人生で一番大切な物は何だと思う。」
「愛だとおもうよ。」
「よくそんなこと簡単に言えるよね。
あんたやっぱり俺が見込んだだけのことはあるよ。」
「それはどうも。
自分の体は大切にしないと愛を広めることはできないよ。
だからタバコは止めた方がいいよ。」
「おふくろみたいなこと言うなよ。
でも言われて嬉しいよ。
ところでタバコって具体的に何が悪いわけ。
おれの知ってる日本の医者はストレス解消のためにはいいからって自分でも吸ってるけど。」
「大量に活性酸素を作るからだめなの。
活性酸素はDNAのチェインを入れ替えたり、傷をつけたりして、人間の細胞を正しいものから、間違ったものに変える悪いやつでね。
その病気を一般的にはCAと呼ぶ。
日本語ではガンというやつさ。
そしてこのDNAチェインは親から子へと伝達されるから、タバコを吸ってメチャメチャになった卵子と精子が結合してできた受精卵はメチャメチャなDNAを持った子どもとなってこの世に生をうけるということになる。
考えただけでも恐い話だね。」
「わかった。やめるよ。やめればいいんでしょ。」
*****
「そんなにコーラばっか飲んだら、虫歯になるぞ!コーラはピザを食べるとき、以外は飲まないのが、アメリカのいい子だぞ!」
とラージのコークをがぶ飲みするのを見ておれは注意すした。
すると
「そんなにコーヒー飲まないの!飲んだら胃ガンになっちゃうぞ!」
と言い返してきた。
そう言った後で、
「本当にコーラのむとやばいわけ?」
と聞くので、
「Dentistは嘘はいいません。特に乳幼児の炭酸飲料摂取は歯と骨にとって致命的です。」
と言ったら、
「じゃ、子供ができたら飲ませちゃだめなんだ。」
とまじめになった。
*****
この時、カフェで繰り返し流れていた音楽があった。
「この曲は静かでいいよね。淡々としてるよね。」
とTPは言った。
これは、おれが祖母に何度も繰り返し聞かされた馴染みの曲であった。
「離ればなれになっていた魂が、ある目的に向かって行くために、一つの集合体になって強いエネルギーを獲得する」
というテーマの曲である。
「Zippoliのアリアだよ。
古いバロックだよ。
キリスト教徒の音楽だよ。」
参考曲1
と教えてやった。するとTPは、しばらく考えて、
「この曲を聞いたら、おれのことを絶対に思い出してくれよ。
絶対だよ。
いいねえ。
良い曲だよね。
なんて名前だっけ。
この紙に書いてよ。」
と言って、ペーパーナプキンに曲名を書かせた。
だから、今でも、この曲を聞くとTPの顔が瞼の奥に浮かんでくる。
*****
「先生さ、好きな言葉ってあるわけ?」
「“太陽”、“ひとみ”、“愛”、“クリスマス”、“誠実”。他にもいっぱいあるけど。」
「“太陽の瞳”か。なんかいい感じだよね。」
「明るい感じの曲って雰囲気だよね。
さわるとやけどするかもしんない。」
「おれ、このタイトルで曲つくってやるよ。」
「だれによ。」
「みんなにさ。」
「勝手にすれば。」
「先生に会いたくなったら発表するよ。」
*****
「先生がさ、日本に帰ってさ、病院を開いたら判るような宣伝を出してくれよ。」
「宣伝はしないと思うけど、あなたが心からリクエストするというのなら、東京で出ている外人向けの一番発行部数の多い月刊誌と、外人向けの電話帳に1年間宣伝を出してあげてもいいよ。」
「する。する。魂の奥底からするよ。」
*****
だから、おれは1996年の1年間TOKYO JOURNALとYELLOW PAGEに宣伝を出した。
しかし、TPはまだ来ない。
*****
TPは大きな声で笑う好い奴であった。
最初に目が合った時、感じた通りであった。
マンハッタンの安ホテルを定宿にしていると言った。
作詞作曲をして歌まで自分で歌うのだとこの時初めて自分から話した。
問診の時、職業を訪ねても、エンタテイナーとしか言わなかったのである。
問診表に書かれた住所はマンハッタンにあるどこかの音楽関係の事務所のものであった。
*****
このあと2回夜にあった。
一度目は、どこかの港のシーフードレストランで、二度目、つまり最後に会ったのはライムライトという当時ニューヨークで流行っていたディスコだった。

「この雰囲気が自分の曲の中でも一番好きな曲に似ているんだ。」
と言った。
喧噪の中で、「これやるよ」といって自分の曲を吹き込んだというカセットテープをくれた。
30分テープに3曲入っていた。
お互いの住所の交換をして別れたが、それ以来一度も会っていない。
たぶんTPもおれもニューヨークを離れてしまったために連絡の取りようがなくなったせいだと思う。
TPからは、はがきを一度貰ったが、はがきの住所に返事を出すと宛名人不在で返ってきた。
TPのような日本人の患者は何人もいたが、結局はその場限りのつき合いであった。
まじめにつきあっていると、結局はこちらが後悔するような日本人が多かった。
だから多くの場合こちらから連絡を取らず自然消滅させた。
しかし、TPの場合はそうではない。
いつも気にはなっていた。
本当に気になっていたのであれば、コーヘンの妹に尋ねるとかして、住所は聞き出せた筈である。
当時は勉強が忙しくて他のことには手が回らなかった、というのは言い訳にすぎない。
もらったテープは何十回も聴いた。
それは音楽的な才能が飛び抜けていると思ったからではない。
ギターだけの伴奏でノイズだらけの録音。
これならよっぽど地下鉄の駅で歌っている黒人の方が上手いと思った。
テープが伸びて最後はウォークマンの中でスパゲティのようになり、ロングアイランドのランドフィルになった曲たちは、その詞の内容が、おれの心を強く打った。
自分がずっと持ち続けていた感情、しかしそれは既製社会の秩序を守るためには、閉ざして、心の中にしまっておかなければならなかったもの。
自分は強く思っているのに、その表現方法を見いだせなかったもの。
これだけ自分の心をストレートに表現できる才能には驚いた。
特に、最初の曲の中にある
「夜の校舎、窓ガラス壊して回った」
という一節には共感した。
それは、おれが高校生の時、何度も考えて、結局出来ないことだったからである。
要するに、おれは臆病でTPは勇敢だったのだ。
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